What's ISHIN
イシンを知る

苦難を経て「事業家創発」の体現者に

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市場で高い価値を提供できる事業家人財が、本人たちの主体的な意思によって生まれてくる企業でありたい――。イシンの社是である「事業家創発」には、そんな想いが込められている。イシンにおける事業家人財といえば、最初に名前が挙がるのが、専務取締役の吉田秀明だろう。黎明期に中途入社し、イシン初の海外拠点となるシンガポール拠点や現地での新事業をゼロから立ち上げ、イシンの事業展開において新機軸を打ち立てた。その経験をひっさげ、現在は経営陣のひとりとして采配を振っている。事業家・吉田はいかにして生まれたのか。その軌跡を追った。

罪悪感で涙が自然にあふれ出した

「ごめん……。ごめんなさい」――。吉田はひとり涙を流しながら、深夜の家路についていた。
吉田はその日、自分が率いてきた新事業からの撤退を、メンバーに報告していた。「これまで一緒に頑張ってきたのに、なぜ!」。メンバーのひとりは報告を聞き、こう訴えて激しく泣きじゃくった。

「吉田は、それまでの1年あまり、新事業をなかなか軌道に乗せることができず、「暗黒時代」とも呼べる苦しい時期を過ごしてきた。その果ての撤退決断。吉田は、その時点で、「悔しい」とは思ったが、自分の決定が社員たちを泣かせてしまった事実に直面したことで、激しい罪悪感におそわれたのだ。

最初の壁は「経営者と対峙できない」

オーストラリアの大学で経営学や人的資源管理論を学び、「30歳には経営を語れるようになっていたい」という想いを抱いていた吉田。就職活動では、商社やメーカーなど複数の大手企業から内定を得たものの、自己成長を追求できる環境を求めてベンチャー企業への入社を決めた。

2007年には、それまでの仕事での縁からイシン(当時の社名は幕末)に移籍。イシンを選んだのも、「仕事のレベルが高そうだ」と感じたためだったという。

実際、期待どおりにイシンの仕事は刺激的だった。吉田はもともとコミュニケーション能力に自信をもっていたが、「企業ブランディング」や「採用戦略」といった、経営の根幹にかかわる事業提案を経営者に行うイシンの仕事に難しさを感じた。はじめのうちは、年商数億円の企業経営者と対峙するだけで萎縮してしまっていた。

こうした壁を乗り越えるために、吉田はひたすら知識を増やし、経験を積むことに専念していった。その間に呼んだ経営書は1週間に4冊以上。100冊以上も読み込んでいくなかで、経営者の思考に共通項を見出だせるようになり、知識の蓄積とともに思考のレベルは上がった。日々の経営者との会話に自信がもてるようになり、経営者のニーズを的確につかんだ事業提案が少しずつできるようになっていった。

営業の成績も自然と伸び、イシンがはじめて新卒社員を迎えた2009年には、部下をもつようにもなった。さらに2011年 4月には、執行役員に抜てき。新規事業を担うことになった。一見、順風満帆な日々だが、この先に待ち受けていたのが、冒頭の「暗黒時代」だった。

最悪なカタチで弱点が露呈した

吉田が執行役員に就任すると同時に、事業部長として管轄することになったのは、新設の「アジア事業部」。当時は日本企業のアジア進出が活発化していた時期で、イシンもアジアへの視察ツアーを組む事業を始めていた。アジア事業部では、視察ツアーにくわえ、アジア市場を理解するための社員研修を提供するビジネスを計画していた。

新事業発足当初、吉田はそれまでつながりのあった顧客に新商材を紹介し、売上を立てていた。しかしそれは続かず、営業成績は頭打ちに。商品開発も軌道に乗せることができず、事業は瞬く間に停滞。事業に対する熱意も次第に失われていった。「新しい事業をイチから立ち上げる」という経験がなかった吉田には、この窮地を打開する知恵はなかった。

そして迎えた2012年の夏。吉田は「このまま続けても苦しいだけなので、撤退させてほしい」と、白旗を上げた。事業撤退と事業部の解散をメンバーに報告したときの辛さを、吉田は忘れることができない。

吉田自身、以前から自分の弱点に気づいてはいた。営業面では、トッププレイヤーになりきれない部分。マネジメント面では、部下に嫌われるのがこわくて、「上司」というよりは、困った時に助けてくれる「お兄ちゃん」に。「営業としてもマネージャーとしても、どこか突き抜けられない」。そんな自信のなさをつねに感じていた。「その弱さが、事業開発にたずさわるにあたり、最悪なカタチで露呈したしまった」と吉田は振り返っている。

「ビジネスは、勝たなければ誰も幸せにすることはできない」――。このとき身に染みて感じた真理を、吉田はその後、座右の銘として事あるごとに反芻していくことになる。

シンガポールで再起をかける

アジア事業部解散から数ヵ月後、社内ではシンガポールでの現地法人設立の話がもち上がっていた。だが、事業内容はなにも決まっていない。そんな状況を、吉田は「再起をかけるチャンス」と捉えるまでに気持ちは整理されていた。当時は新婚の身で、住宅も購入したばかりだったが、海外法人の立ち上げに、すすんで手をあげた。今度もし失敗したら、会社を辞める覚悟もあった。

経営陣は申し出を受け入れ、吉田をシンガポールに送り出した。事業開発のカタチは見えていなかったが、「人財」の潜在力を信じる。それが今も変わらぬイシン流だ。

2013 年 1月、吉田はシンガポールに身体ひとつで乗り込む。海外暮らしに不安はなかったものの、事業開発はとにかく大変だった。

まず、売るものがない。最初は、日本での事業の横展開を探る。当時の基幹事業のひとつ『経営者通信』にアジア関連特集を設け、広告枠を売るビジネスに着手。1週間で、現地の日系企業を40社ほど訪ね回ったが、ニーズが合わないことがわかり、断念。 代わりに、そのとき顧客の声を拾い上げ、Web媒体による新たなビジネスモデルを摸索した。もともとアジア事業部で開設していたポータルサイトを、海外進出支援の専門家を紹介するサイトに切り替えるというアイデアだった。 このときのサイトが、のちに日本企業の海外進出を支援する『ヤッパン号』として、イシンの事業展開に新境地を開くことになるサイトに発展する。

シンガポールでの挑戦は、日一日と目減りしていく資金をにらみながらの時間との勝負でもあった。焦りと不安にさいなまれる日々。しかし、アジア事業部での失敗を経験し、事業に賭ける吉田の執念がかつてとは変わっていた。地道な営業活動の末に、いつしか事業には光明が見出せるように。

そして事業発足から1年。2014年 2月にシンガポール現地法人は、単月で初の黒字化を達成する。イシンのメンバーたちに、「グローバル」という新たな夢が現実感をもって受け止められた瞬間といっていい。その夢は、それから 4年後、イシンの基幹事業のひとつ、「GSA事業部」の発足というカタチで、ひとつの結実を見ることになる。

本気になってすべてが変わった

吉田がシンガポールで成功した要因はなんだったのか。端的にいえば、「アジア事業部での失敗を二度と繰り返したくない」という、事業開発者として責任感と危機感だろう。「吉田はダメだ」というレッテルを許したくなかったし、自分でも認めたくなかった。また、現場の責任者として、キャシュが減っていく怖さも大きかった。ビジネスで勝つために、とにかく、必死にならざるをえなかった。

こうした経験は、事業開発者として舵取りをする「筋肉」を鍛え、覚悟を植えつけることになった。シンガポール赴任前から吉田を知る人が、「赴任後に、吉田は人が変わった」と評するのは、そのためかもしれない。いつしか本人も、「プレイヤー、マネージャーとしての自信の無さ」を自覚することはなくなっていた。

この内面の変化は、上司であった代表の明石(現:代表取締役会長)との関係も変えていった。それまでは、「上司が言うことは絶対」との認識が吉田の内面を支配していた。しかし、シンガポールでの経験を経て、「このビジネスで勝つために、自分が信じたことを貫こう」と思うようになっていた。「本気になったからこそ、明石が“上司”ではなく、“対等なカウンターパートナー”になったのだ」と吉田は振り返る。ひと皮もふた皮も剥けた吉田の姿は、明石にとっても頼もしかったに違いない。

イシンの存在を大きくしてみせる

2015年 4月、吉田は晴れてシンガポール法人の代表に就任。そして2017年には、本社の専務取締役として凱旋帰国する。
「自分で立ち上げたシンガポールでのビジネスを、もう少し続けたい気持ちもあった」と本人はいうが、明石からは、「身につけたマネジメントや事業開発のチカラを、イシンの全社員80人に展開し、新たに成功体験を積んでもらいたい」と告げられた。吉田は、それこそが自信が担うべき役割だと納得し、帰国を決めた。

吉田の現在の挑戦は、イシンという会社を大きくすること。「売上高、従業員数、知名度、事業範囲、事業が社会に与えるインパクト……。あらゆる面で大きくする。それによって、社員が自分自身で満足するだけでなく、家族や親戚、友人などから、「イシンを選んでよかったね」といわれるような企業にすることが、現在のミッション」と力強く語る。

イシンでは、「事業家」として成長できるフィールドがすべての社員に提供されている。吉田が歩んだ軌跡は、まぎれもなくその現実を物語っている。また、その軌跡は、「会社の成長は個人の成長に紐づいている」というイシンの理想を色濃く体現している。

吉田を知る若手の社員にはなかなか信じがたい話だが、吉田は入社当時、「ただのパッとしないサラリーマン」だったという。この10年を振り返る吉田は、「イシンのほかのメンバーだって事業家になれると、心の底から信じられる」と語る。吉田が、活躍する部下たちの姿から想いを馳せ、脳裏に描くという、次なる事業家たちのサクセスストーリー。それらが現実のものとなる日は、そう遠くないのかもしれない。

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