官公庁が発注する情報システム構築案件をはじめ、数多くのビッグプロジェクトに参画するほど、技術力の高さに定評のあるITベンチャー、Crane&I。同社は「感謝・成長・恩返し」という、独特の企業理念を掲げている。最先端ITと「恩返し」は、どのように結びつくのか──。そこには、代表としてCrane&Iを引っ張る遠藤健太の人生の軌跡がある。なんの目的もなくフラフラしていた青年時代から、IT起業家へと成長。未来の大企業としての理想像を思い描くまでのストーリーを追った。
どん底のとき、母の愛に気づく
「このままじゃダメだ」。
そう考えたのは、大学を中退してからしばらくたったころ。
もともと勉強するのは好きじゃなかった。
だが、なぜか学校の成績はよかった。とくに理数系。だから、高校でろくに勉強しなかったのに、大学の理工学部に合格することができた。
なにか学びたいこと、将来やりたいことがあって大学を選んだわけじゃなかった。だから、簡単に中退してしまったのかもしれない。
中退後は、アルバイトをしたり、友達と遊んだりと勝手に生き、自由を謳歌した。
でも、楽しかったのは最初だけ。充実感はなく、しだいにそんな生活にうんざりしてきた。顔は笑っていても、心にはぽっかりと大きな穴が開いていた。
そんなある日。突然、母親の顔が頭に浮かんだ。
とても教育熱心な人だった。いわゆる教育ママ。どうやら自分のことをハイレベルの大学に入れたかったらしい。しかし、重い病気になり、早くして亡くなってしまっていた。
いつも不思議に思っていたことがある。
なぜ、自分はろくに勉強をしなくても成績がよかったのか。
それは、小さいころ、学力の基礎をつくってくれた母親のおかげじゃないのか。あんなに口うるさく勉強しろ、勉強しろといっていたのも、自分の将来のことを心底、心配してくれていたからじゃないか。
そのことに気づき、母への感謝の気持ちがこつ然とわき上がってきた。
いまの自分のままでは、恥ずかしくてとうてい母に顔向けできない。「ちゃんとしよう」。そう決めた。
まずフリーターのような生活をやめ、正社員として働こうと思った。ITがいいんじゃないか。深い理由もなく考えた。
IT。時代の先端をいっているようで、なんかカッコいいじゃないか。そんな軽い気持ちだった。
経験はなかった。だが、IT業界全体がグングンと大きくなっていっている時期。未経験どころか、SEという仕事がどんものかさえ知らない自分でも、採用してくれる会社があった。
面接のとき、社長から「年収はいくらほしいの?」と聞かれた。どう答えればいいかわからない。なんとなく「1,000万円」という数字が口から出た。すると、「そんなの楽勝だよ」と社長は笑った。
えっ、そんなにもらえるんだ。自分が口にした数字なのに、逆に驚いた。そうか、がんばればがんばるほど自分に返ってくる仕事なんだな、と。もっとも、その会社ではそんな金額をもらえなかったが(笑)。
ただガムシャラに前を向いて走った
採用された会社でエンジニアとして働き始めた。Linux系のサーバ運用を任された。
ITエンジニアとしての知識・スキルはゼロといってよかった。最初はどうやって実力を身につけていけばいいかわからなかった。最短の道は誰も教えてくれなかった。
だから、とにかくガムシャラに勉強した。仕事はシフト制。夜勤のときも、時間を見つけては技術書をむさぼり読んだ。
もともと負けず嫌い。同期入社の仲間には絶対負けたくなかった。上司や先輩に対しても同じ気持ちだった。少しでも早く追いつき、追いこしてやろう。その気持ちだけはつねにあった。
そんなふうにしているうち、いつの間には実力が身についていた。CCNP、LPICなどサーバやネットワーク系エンジニアに必要な資格をとり、スキルを証明した。
自信がついてきた。キャリアステップの道筋もなんとなく見えるようになってきた。すると欲が出てくる。もっと上に行きたい。高みをめざしたい。
エンジニアとしてだけでなく、もっと幅広い可能性にチャレンジしたい。自分の道を自分自身でさらに切り拓いていきたくなった。
そんなとき、会社から声がかかる。「営業をやってみないか?」。
経営に興味をもつようになっていたので、営業スキルがあれば将来の役に立つはずだ。そう思って、会社がもちかけた話に乗った。
営業の仕事を始めたときは、エンジニア時代の初期と同じだった。最初はなにもわからない。ただ目の前のことをガムシャラにやった。「この案件、担当したいヤツはいるか?」と社長がいえば、誰よりも先に手をあげた。
営業成績はグングン伸び、役職も上がっていった。エンジニアの採用面接など、マネジメントの業務もまかせてもらえるようになった。
クライアントの数が増え、小さかった会社が社員100名の規模になったころには、自分が営業全体を仕切るようになっていった。
自分を成長させてくれた会社には感謝の気持ちがあった。だが、その一方で、いくらやっても給与は上がらない。評価してもらえないというジレンマを感じていた。
がんばった人が真っ当に評価される会社ならばいいのに。そのときの想いが、やがてCrane&Iを設立へつながっていったのだ。
社員に恩返しを。その一念で育成に注力
勤務先で感じていたジレンマが大きくなり、会社を辞める決断をした。そして、とあるITベンチャー企業で役員として会社の設立、運営を経て、「やはり、自分で理想の会社を立ち上げよう」と決断した。
「がんばった人が真っ当に評価される会社にする」。
それがCrane&Iの設立のテーマになった。
そして会社を経営しているうち、より大きなテーマが見えてきた。
それが、人財育成。社員がエンジニア・ビジネスパーソンとして、一生やっていけるだけの土台づくりを徹底的におこなうこと。
そう考えたのは、恩返しの気持ちからかもしれない。社員に恩返しをしたい。そして、社員にも、成長を遂げ、立派な人財となることで、恩を受けた人に恩返ししてほしい。そうやって恩返しのバトンリレーがつながっていったら、すばらしい。
「恩返し」。それがCrane&Iを経営する原動力になっている。恩を受けた人は数えきれない。まず、社会人になるまでの基礎をつくってくれた人々、社会に出てからの自分を支えてくれた人々。そして、顧客企業や、顧客を紹介してくれるパートナー企業からの恩。
よく聞かれることがある。
どうしてCrane&Iは、設立してまだ間もない会社なのに、国家プロジェクトとも呼べる大きな仕事に参画できるのか?
それは、これまで人生のなかで知り合った人たち、信頼して仕事を依頼してくれた人たち、Crane&Iをパートナー企業として選んでくれたみなさんのおかげだ。
そして、社員たち。
営業担当が仕事の規模をさらに大きくし、新しい道を切り開いていってくれた。顧客の期待を超える成果を出すべく、エンジニア一人ひとりががんばってくれた。そういう要因が積み重なって企業成長できたのだ。
社員たちに恩返ししたい。だからこそ、社員がどこに行っても、いくつになっても、第一線で活躍できるだけの土台づくり、エンジニアやビジネスパーソンとしての一生の財産づくりをしてあげたい。そうすることが、社長としての責任であり、恩返しでもある。
求めるのは会社づくりに参画してくれるメンバー
将来的には、社員1,000名、年間売上高200億円の会社をめざしている。そのためにやるべきことがたくさんある。
いまはサーバやネットワークなどインフラ系を得意としているが、Web開発にも力を入れる。そして、自社オリジナルの製品やサービスの開発を進めていく。
いま、対象として考えているのは、教育分野だ。
まずは、教育専門の部署を立ち上げ、専属のスタッフを置き、未経験で入社した者でも短期間でプロフェッショナルになれる教育をおこなっていく。
その教育ノウハウを蓄積しながら、Crane&I独自のメソッドを体系化し、外部へも販売していく構想だ。教育を柱の事業のひとつにしていく。
ITはこれからの日本を牽引していかなければいけない重要な産業。だから、優秀な人材を育成し、世界に負けないエンジニアを輩出していくのは、大きな社会的貢献になる。
教育事業だけじゃない。
事業を多角化させ、数多くの子会社を設立し、Crane&Iをホールティングス化していく。そのビジョンに向け、最初の一歩となるのが教育事業なのだ。
大きな絵は描いた。そこに色を塗り、完成させるのは、いまいるメンバー、そしてこれからジョインするメンバーだ。
だから、「エンジニアやビジネスパーソンとして成長していきたい」という人はもちろん、「会社づくりの中核を担いたい」という人の参画を、いまは心から待ち望んでいる。
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Crane&Iは「教育と福利厚生で日本一にすること」を目指しているので、充実の研修制度やユニークな福利厚生があります。未経験の方でも、やる気があり頑張りたい!という思いがある方は、ぜひ安心して飛び込んできてください!
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