エクスチュアは2012年12月に設立(登記)され、本格的には2014年から事業を開始しているまだまだ若いベンチャー企業です。今回はエクスチュアを創業するに至る経緯をご紹介します。
代表原田の歩み 〜 データの面白さに気づく新卒時代
CEOの原田は、2001年に新卒でトランスコスモス社へ新卒入社して、半年間の下積みを経た後で米国法人のAskJeevesとの合弁会社アスクジーブスジャパンへ出向します。AskJeevesは当時米国で4位、英国で2位のシェアを持つ大手の検索エンジンで、GoogleやYahooと戦って大きなシェアを獲得しようとしていた野心的な会社です。ここでWebの世界に入ることになるのですが、AskJeevesの1つのサービスで、B2B向けの事業(企業サイト向けサイト内検索エンジン)がありました。これは企業サイトへ訪問したユーザが見つけることのできないコンテンツを探せるものですが、一つのウリとして、「ユーザの求めていることを明らかにする」というものでした。今でこそ当たり前になっていますが、2001年当時では、検索という行為がユーザの求めていることを表すという考え方は体系だっておらず、企業への生の声を届けられるということで画期的なサービスでした。ユーザの声に基づいたコンテンツの追加提案を行えば、ほぼ確実に成果が出たことで、原田はデータに基づいた改善施策の確かさと成果を出す面白さにハマっていきます。 AskJeevesでは2つの悩みがありました。第1に、企業によってはデータの母数が確保できないということです。もともと多くのユーザが訪問しているサイトはデータ量が十分にあるから良いですが、アクセス数の少ないサイトではそもそもサイト内検索をする人も少なく、分析しても仕方ないような量しかデータがありませんでした。そこで、サイトへ集客するということに関心を持つようになりました。第2に、もともと起業志向の強かったため、まだ少人数のベンチャー企業において、より責任を持つ仕事をするようになり、会社を大きくしていくということをしたいという思いでした。この2つの悩みを解消するために、原田は2005年に当時は50名程度のベンチャー企業だったアイレップ社へ転職します。
ベンチャー企業への転身 〜 自分で事業を立ち上げる
大企業からベンチャーだったアイレップへの転職へは躊躇が無かったわけではありません。その当時は、トランスコスモスの資本金が290億円に対し、アイレップは1000万円しかありません。また、売上高も従業員数も比較にならず、転職自体も今ほど認められていない時代で、転職に失敗したらキャリアがお終いであるという恐怖を感じていたことは今でも思い出されます。実際にアイレップへ入社した時(新宿オフィス)にはオフィスの1人当たりの面積の狭さや今までに見たことのない自由な振る舞いを見て困惑をしました。それでも転職時に抱いていた、ベンチャー企業を成功させて自分も急成長しようという熱意は萎えることがなく、希望を持って新しい仕事に取り組みました。当時はリスティング広告の創成期で、原田自身広告という世界には全くの知見がなかったうえに、覚えるべきことが多くて苦労していましたが、徐々に業務を覚えつつ、新しい運命的な仕事に出会いました。それが、今も愛用しているAdobe Analyticsの前身となったSiteCatalystを開発するOmnitureという会社の日本進出に伴う事業です。今なら分かるのですが、まだまだスタートアップ時期のベンチャーでは経験者がほとんどいなく、また広告会社であるので、技術的な素養がある、ましてやデータに強いような人はなかなか居ない状況だったため、すぐに私が責任者にしてもらえました。初めてSiteCatalystを触ったときには、今までに日本にあったWeb解析の概念を根底から覆す圧倒的な機能を見て、ワクワクして震えました。また、Web解析界隈はシステム屋の人が多く、ツールの仕様の話しかしない、面白くない人....しかいなかったのですが、Omnitureの人々は話していても楽しく、単なる仕様の話だけではなく、なぜビジネスにつながるのか、結果的に顧客のビジネスの成功にどうつながるかの話もできて、「これは当たる」と思い、自分の持てるリソースをほとんどSiteCatalystに割り当てて、1年で30社ほどの導入に成功しました。これによってアイレップにWeb解析チームという部署ができることになり、私がマネージャーとなったわけですが、このことで、「ベンチャーで成果を出して会社を伸ばす」ということに自分も貢献できている実感を持ちました。その後はSEMにおいても大規模クライアント相手にプロジェクトマネージャーの立ち位置でサービスを提供し、そのための部署のマネージャーも兼務することになったので、よりその実感は強くなり、毎日を充実して猛烈に仕事をしていました。唯一の心残りはアイレップの上場日に大阪出張でその場にいれなかったことです・・・
外資ベンチャーへの転身 〜 国際感覚を磨き、大きくなったベンチャーを楽しむ
2007年にはOmnitureへ転職することになります。理由は「自分のプレイヤースキルをより高めたい」「外資で働いてみたい」等色々ありますが、とどのつまりは大好きだったSiteCatalystの中の人になりたいということです。日本では17人目の社員として入社しましたが、知っている人も多かったですし、何より日本代表とは他の人よりも前に知り合っているし自分が一番仲が良い、SiteCatalyst歴は自分の方が長いので、という自負があって笑 入社に対するプレッシャーは全くありませんでした。この時点で転職に対しては怖いという思いは全く持っていません。転職自体が失敗だったとしても、今までの自分のキャリアならどこかしら拾ってもらえるだろうという自信がついていたことに気づき、いかに自分のキャリアを強固にするか、そのためにいかに日々努力するかが重要ということを持論として持つようになりました。Omnitureでは最初はStrategic Account Managerという既存顧客の防衛をメインのミッションとしたポジションにつき、クライアントの疑問点の解消やアドバイスを行い、Omnitureのパートナー企業にも支援を行っていました。その後Pre-Sales Consultantとして、営業と一緒にSiteCatalystやTest&Target、いわゆるOnline Marketing Suite(懐かしい)の導入を推進しました。Omnitiureは良くも悪くも、声の大きい人が活躍できる会社で、ある程度(かなり)自分の持ち場を越えた仕事をすることができました。そして私は声が大きかったので笑、実は自分で実装コンサルタントの動きをしたり、プロジェクトマネージャーの動きをしたり、プレイヤーとしての自身のスキルを高めることに没頭できました。また、海外のスタッフともやりとりすることが多く、また、USでトレーニングを受けることもあって、日本人が私1名で他30人ほどが日本人以外、という場で英語プレゼンテーションをさせられたりなど、世界の中の自分という意識を持てるようになりました。プロダクトの圧倒的な強さから来る成長スピード、革新的な事例の創出や次々とM&Aを仕掛けていること、クライアントからもOmnitureの人はすごい人が多いと言われたりして、ここで働いていることを嬉しく思いながら楽しく働いていました。私がエクスチュアを運営していくにあたって、この雰囲気は一つのモデルケースとしてやっていきたい感じではあります。会社は売りませんがw
世界的有名企業へ入る
2010年にはOmnitureがAdobeに買収されて、私もAdobeへ入社することになります。買収されたと知ったときには、独立でやっていけなかった悔しさもありますが、基本的には「やった!」というものでしたw 世界中の人が知っている会社ですし、MSやGoogleのような巨人ではなく、Adobeというのが渋くて自分らしいなという思いもありました。そして大企業に組み込まれることで、より開発スピードがあがってOnline Marketing Suite(今のAdobe Experience Cloudの前身)はとてつもなくすごいことになるだろうとワクワクしました。なにせ、制作とその後の計測・最適化が1つの会社で提供できるようになるので、これは最強だろうと確信しました。無法地帯だったOmnitureからちゃんとした会社に組み込まれたことで、最初は企業風土になじむのが大変ではありましたが、自分なりに最適化して、Omnitureのときと変わらず日々を楽しく邁進していました。特にAdobeがすごいのは、社員に対する仕掛けが色々あり、勤続年数の節目のギフトやサバティカル休暇、充実した福利厚生といったものがあり、目先の業務を推進するだけではなく会社として従業員の満足度を上げるための仕掛けに大きなリソースを割いていることです。もちろんプロダクトは思ったとおりのより強力な進化を遂げ、また、多くの買収を仕掛けてSuiteとしての力をより確固たるものにしていきました。実はOmniture入社からこの頃まで、自分で会社やるぞ!ということは自分の中でちょっと気持ちが弱くなっていて(それだけその企業で働くこと自体が楽しかったから)その時の自分の頭の中では、日本というより世界の同僚達に対してどれだけの爪痕を残せるかということにチャレンジしようと思っていました。ただ、自分で会社をおこす気ももちろんあったので、自分でビジネスをやるために必須であろう営業経験を得るために、営業に異動して、営業を人生初めてチャレンジしました。熱い気持ちを維持していたのと、今までに得た知識をもとに提案活動を行い、営業達成率254%を記録して、ラスベガスで全世界の社員が集まる場にて表彰されるまでに至りました。(飲みすぎてその表彰をすっぽかしたという黒歴史があるのですが、それはお会いした時にでも話します・・・)
くすぶり続ける課題感と起業への意識
そのようなことがあって、当時は33歳でしたが、客観的に見てもそれなりなキャリアを歩めてきたと思います。今後どうしていくかという時に、本来は部下を育ててチームを成功に導くと言ったマネジメントへのキャリアアップを狙うところですが、実は25歳くらいから感じていた課題感があり、それに対してじっくりと考えることにしました。それは、「なぜ自分のクライアントの成功に貢献するために全力を尽くさないのか」「なぜ売り逃げをしないといけないのか」等の疑念です。新卒の時に、データに基づいて課題の解決案を実行すればほぼ確実に成果が出るという経験からでもあるのですが、明らかにクライアントが課題を抱えていて、それはサービス提供側の意識で解決できるといったことが、様々な制限によりできないということがありました。また、もう1つの疑念として「どうして世の中の(自称)詳しい人は、分からない人に対して(意図的に?)分かりにくく話すのか」ということもありました。これは学生の時から思っていたのですが、明らかに自分より知識レベルの劣っている人にたいして、自分の知識レベルでものを語っている人が多すぎて、しかも、それで理解できないほうが問題がある。といった価値観が横行しているように感じました。私から言わせれば、難解に話すのは自信の無さの表れで、相手に理解されると自分の立場が危ういとか、相手が理解してしまうと自分のプレゼンスが無くなる、と思ってんじゃないかと推測します... そのせいでこの業界がリテラシが育たず、遅れているという状態を維持しているのだったら、これほど馬鹿らしいことはないと考えました。 そこふと閃いたのが、これはビジネスになるということです。ビジネスにするための需要は確実にありますし、提供できるもの(スキル)もある。これを思った時に、自分の親友でもあり相棒でもあった今は副社長の権にも声をかけて、「こういうのはどうだろう?」という話をしました。権も賛同してくれて、不義理をしないような形で将来的には自分たちで会社をやろう。ということで話がまとまりました。
最初の壁 〜 ネーミングセンス
今でこそ当たり前のようにエクスチュアと言っていますし、社名の由来はこうだ。みたいに言えていますが、これは結構苦労しました。。 二人で社名考えようぜ!と飲みながら話していて分かったことが、二人共絶望的にネーミングセンスが無く、とてもかっこ悪い名前や、ピンとこない名前、訴えられそうな名前しか浮かびませんでした... これじゃ駄目だということで、一回頭を空っぽにして、エクセルに自分の好きな単語を片っ端からあげよう。ということで沢山の単語を書き出して集計したら、「ex」で始まる言葉が多いということが分かりました。そして、「Omniture」みたいに「〜チュア」って社名にしたいね、と言っていたことから、エクスチュアという造語が産まれました。なんだかんだいって良い名前になったと満足してます。
次の壁 〜 登記の時間がない!
社名も決めて、後はタイミングをはかるだけだな、と思っていましたが、2012年12月11日に大事件が起こりました。ふと思いついてしまったんです。明日が
12年12月12日だということに。まだ全く会社の準備もできてないし、会社を作ることなど不可能なタイミングでの気づきだったので、後のタイミングで良い並びの日は無いかと探しました。でも2013年だと13月が無いので無理・・・だし、全部2で揃えるなら2222年2月2日まで待たないといけないし、、この2012年12月12日という日付は空前絶後のこの日しかないという日であるという思いから、とりあえず登記だけしちゃおう・・・ということで11日の晩に法務局のサイトへいって、徹夜で書類を作りつつ、12日に提出しにいったのでありました。(不備を指摘されて修正してで、受理してもらったのが16時58分というギリギリのタイミング)バタバタしまくりましたが、なんとか登記までこぎつけました。後は会社をつつがなく辞めて、不義理の無い空白期間を空けて営業開始をするのみです。
それから一本立ちまで
単なる空白期間というと語弊がありすぎですが、Web解析と関係のない別の会社に行って来るべきタイミングを探ろうと思いました。とはいえこの会社でも全力を尽くし、会社にもパートナーにもクライアントにも全力投球したのは言うまでもありませんし、ここでの経験も私の財産となっています。ただ、ここについては割愛させて頂くとして... 2014年4月に、急遽父親が危篤という知らせが入りました。急いで私の地元である鹿児島へ飛んで帰ったのですが、ギリギリ間に合わず、病室に着いたときは逝ってから数分後でした。父親が旅立っていくのを見送りながら、私は父親の人生について考えました。父親は病弱で入退院を繰り返していた、病気と戦う人生でしたが、1つ印象的なのが、父親は会社勤めをしていたことはあったのですが、続かずに自分で職業訓練校へ行って、そこで身につけた印刷技術をもとに自分の会社を作ったということです。これはその時に母親から初めて聞かされたことだったのですが、それを聞いてやはり自分は自分で会社を作る人としての遺伝子を受け継いでるんだなと思い、空から見守ってくれている父親に対して憲悟もやったよ、と言えるように人生を歩みたいと強く思いました。それがきっかけで自分で一本立ちしてビジネスをやっていこうと決意しました。
マークシティの激狭の部屋で
最初は自分1人で始めて、人の人生を背負えるように稼いでから権をはじめ、従業員を雇い入れていこうと考えました。自分の家を会社とする。ということもテクニックとしてはあったのですが、私は個人商店でやる気はサラサラなかったし、いわゆる零細のままで行く気もなく、社会的に意義のある会社を作りたかったので、最初からオフィスは構えることにしました。とはいえ1人なので、いきなりオフィスビルを借りることもできず・・・ Omnitureの時に馴染みのあったリージャスを尋ねることにしました。すると懐かしのOmnitureがあった渋谷マークシティでなんとか部屋を借りれることになったので、ここで始めようと決断しました。その後インターン生をいれてみて、2人でパンパンになる部屋ではありましたが・・・ここから伝説を始めようと考えたものです。(ちなみにその部屋は半年で出ることが出来ました!) 会社を起こしましたと告知した時には、友人や同僚、パートナー企業だった方などに遊びに来ていただいたり、お花を頂いたりしてとても温かい気持ちになりました。大企業に属していた時に仲良くしていた人は、1人会社になった瞬間にけっこう簡単に疎遠になってしまいましたが、そんな時にも変わらず接してくれた方々については一生忘れることのない嬉しい気持ちを持っています。この方々については、もし今後私が何かサポートできることがあったらなんでもしたいと考えています。
エクスチュアは今年で10期目の若い会社で、今も急成長を続けています。ほぼ全ポジションで募集している状況で、まだまだこの急成長は止まりません。創業期のベンチャーで熱い想いを持って貢献したいと思っているかは是非お声がけください。
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