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【創業ストーリー】志高きエンジニアよ、ともに多くのユーザーが喜ぶ姿を見よう

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31歳の若さで大阪を本拠とするITベンチャー、ライズサービスを立ち上げた南篤志。腕ききのエンジニアとして知られた南が起業した理由は、「エンジニアの楽園をつくりたい」という想いからだった。めざすは“エンドユーザーが喜んでいる姿が見える、ものづくり”。それこそがエンジニアにとって、いちばんやりがいのある仕事だと信じるからだ。そんな信念がどのように生まれたのか、南のライフストーリーから、ひもといてみよう。

陣取りゲームで学んだ戦略的思考


エンジニアとしての人生を歩むようになったきっかけは、シミュレーションゲームにハマったことだった。

小学校のころは、外で遊ぶことと、ゲームに熱中すること、半々の生活。とくに『信長の野望』には熱中した。陣取りゲームをしているうちに、「考えること」が楽しくなった。いま思えば、エンジニアリングにも経営にも必要な論理的思考、戦略的思考を知らず知らずのうちに身につけていた。

中学校に入るとサッカーにのめり込んだ。勉強をしないものだから、成績はよくない。そのうち高校受験がやってくる。志望校は中学の教師全員から「ムリだ」と反対された、ランク上位の高校。でも、思い切って、チャレンジした。勉強を始めたのが受験の3ヵ月前。ここで戦略的思考が役に立った。1ヵ月目に中学1年で習う授業内容、2ヵ月目に2年で習う授業内容、3ヵ月目に3年で習う授業内容を勉強した。結果、晴れて合格した。

経営者と技術者の“二刀流”


高校では相変わらず勉強することはなく、スポーツにいそしんだ。でも、3年になると進路を考えなくてはいけなくなる。家庭の事情があったので、4年制大学に行っている場合ではない。「早く働きたい」と思っていた。やってみたかったのがコンピュータと経営だ。この2つのスキルがあれば、社会人としてやっていけるだろう、と。

小学生のとき以来、ずっとシミュレーションゲームにはハマり続けていた。最初はゲームをユーザーとして楽しんでいただけだったが、いろいろ調べていくとゲームを動かしている「プログラミング」という世界があることがわかった。そこでプログラミングを学ぼうと決めた。一方で、「経営も学びたい」と思っていた。この時点で起業まで意識していたわけではない。会社員になるにせよ、商売をやるにせよ、経営学はビジネスの基本だからだ。

それで、見つけたのが大阪短期大学。経営学部があってプログラミングも学べた。2年間はあっという間。とくに就職先のイメージはなかったが、「将来、ITの世界が大きくなるだろうな」というばくぜんとした思いはあった。それで、「エンジニアの仕事をやっていこう」と思って、小さなソフトハウスに入った。

勤務先の消滅2回。見えてきた理想の会社像


その会社は社長を含めて総勢5名。そのうち、私を含めて新入社員は3名。明らかに、おかしな経営をしている(笑)。でも、社会人なりたての私には、そんなことはわからない。夢中でシステム開発の仕事に取り組んでいた。

山ばかりの奥地にある老人ホームに1ヵ月くらいカンヅメになってシステムをつくったこともある。献立の栄養素やカロリーを計算するシステムだ。

ところが、会社は入社1年半後に倒産。いまから思えば、栄養管理システムは時代が早すぎたのだと思う。社長がもともと料理人だったので、そんなシステムを手がけていたのだが、「自分の思い入れを優先し、時代にあわないものをつくってはいけない」という教訓を得た。

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会社が倒産する前に、私の“師匠”となる人と出会った。彼はフリーのエンジニア。同じ現場で働いたことで、なかよくなった。私の勤務先がつぶれたとき、彼は新たに会社を設立して、社員全員を引き継いでくれた。

その会社は彼を師匠とする修行集団のようなものだった。しかし、ある日、彼は会社の解散を宣言した。「私がトップにいると、自分でやってしまう。社員のスキルアップにつながらない。一方で、私がとってくる案件は君たちには難しすぎるから、まかせられない。この状態は続けられない」というのが理由だった。びっくりしたが、「なるほど」と思った。

そして、「もし自分が社長なら、自分のやりたい仕事をとってくるのではなく、社員がやりたい仕事をとってくるだろう」と思った。そこではじめて、自分なりの理想の会社像が見えてきた。このとき、起業することを決心した。

とはいえ、自分にはなんのコネもないから、いま起業しても案件を獲得できない。そこで、PC専門店で働きはじめた。エプロンを着て、接客をした。そこには“PCの猛者”といえるような、ハイスキルのエンジニアが数多くやってくる。大企業の情報システム部門にいる人、SIerのコアメンバーとして働いている人、フリーランスエンジニアとして大規模プロジェクトに参画している人…。そういう人たちとコネクションを築いていった。

真のエンジニアファーストをめざして


準備万端ととのえて、ライズサービスを立ち上げたのは31歳のときだ。めざしたのは、エンジニアファーストの会社。エンジニアがやりがいを感じ、「楽しい」と思える案件をとってくることを私の役割と位置づけた。

当初は、少数精鋭の会社をめざした。発注者に対して責任を負う元請けになるのではなく、プロジェクトのなかで不足しているリソースを埋められる、確かな技術力をもった会社になる。そうすれば、引く手あまたになり、多数の案件のなかからエンジニアのやりたい仕事を選ぶことができるからだ。

3年ほど前から、社員数を増やす方向にかじを切った。「エンジニアのやりたい仕事」の幅がどんどん広がってきていて、たとえば「大規模な案件に携わりたい」「最先端のテクノロジーをあつかう案件に携わりたい」という希望も出てくるようになった。それに対応するためには、ある程度の企業規模がないといけないからだ。


ただし、誤解してほしくないのは、エンジニアファーストをめざすからといって、ライズサービスが顧客満足をないがしろにしているわけではない、ということだ。「エンジニアが楽しい仕事」と「顧客が満足する仕事」は、高い次元で一致するはずだ、というのが私の信念だからだ。ユーザーに「便利になった」「仕事が効率化できた」といってもらうようにすること。それがエンジニアの喜びであり、楽しさであると考えれば、エンジニア満足と顧客満足は最終的に一致する。

私が最初に就職した会社では、エンドユーザーであるお客さまとじかに接する案件が多かった。文句をいわれたこともあれば、感謝されたこともある。そのおかげで、仕事のやりがいが見えやすかった。

忘れられない思い出がある。仕出し屋にシステムを納入したときのこと。使うのは目がかすんでしまっている、店主のおばあちゃん。だから、システムのUIにこだわった。タッチパネルにし、文字を大きくし、画面の構成を簡素化した。完成品を実際に使ってもらったとき。「とても使いやすい」と、おばあちゃんがひとこといってくれた。涙が出るほどうれしかった。これが、エンジニアのやりがいというものだ。

いま、ライズサービスでは受託開発の案件を増やそうとしている。それは中小規模の案件を獲得したいからだ。エンドユーザーの使う姿が1件1件、直接、見える規模の案件。ものづくりの楽しさを感じてもらうには、そういう案件がふさわしい。お客さまに文句をいわれたり、喜んでもらったり、そうした経験をしてほしい。そうして、ひとりでも多くのエンジニアが、エンジニアみょうりにつきる仕事をしてほしいと願っている。

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